ポーランド情勢   基礎データ>政治>政党

  
    法と正義(PiS)               市民プラットフォーム(PO)

    民主左翼同盟 (SLD)           自衛(Samoobrona)

    ポーランドの家族連盟(LPR)       ポーランド農民党(PSL)
 
    ポーランド社会民主主義(SdPl )    民主党(PD)

    自由同盟(UW)
法と正義(PiS)

正式党名:Prawa i Sprawiedliwości

略称:PiS (一般的には「ピス」と読む)

発足:20016

党員数:

党首:ヤロスワフ(Jarosław Kaczyński)

ホームページ:http://www.pis.org.pl/

 

歴史

連帯の流れを汲む右翼政党。1996年に発足した右翼政党の結集体・連帯選挙運動「AWS」がの分裂した際に発足した。レフとヤロスワフという名のカチンスキ兄弟(双子)が率いる政党で、内政強化を主政策とし保守色が強く、ややナショナリスティックな傾向もある。

2002年にワルシャワ市長に就任したレフ・カチンスキは、AWS内閣時に法務大臣を経験。当時国内では凶悪犯罪が急増し、治安改善を求める市民の要求が強まっていた。レフ・カチンスキは元来、刑罰の強化や死刑復活を強く主張していた為、一般市民の支持を急速に拡大。同氏に対する人気のおかげで、新党PiS2001年議会選挙において下院議席確保を果たしたといっても過言ではない。

 

政策

政策面ではこのほか、汚職撲滅を強く主張。この絡みで、1)旧体制の流れを汲む民主左翼同盟 SLD)を「犯罪組織」と呼び激しく対立、2)公的機関から旧公安に関わった人物の徹底排除を求める、3)「潔白裁判(Lustracja)」強化を求める。

経済政策は「左派的」性格を示す。国家財政赤字削減の必要性を認識しながらも、基本的には「大きな政府」を主張。とくに社会・社会保障・文化分野の予算拡大を狙う。また、雇用問題においては米国にみられるような雇用者優位ともいえるリベラルなスタンスを徹底批判し、被雇用者保護の立場をとる。国営企業民営化に関しては、エネルギー分野を中心に国家経済の基礎となる産業の保持を主張。その他の企業に関しても、国益重視として、かなり慎重な姿勢を見せている。

社会政策では、キリスト教・カトリックの教義を重視し、安楽死や妊娠中絶、同性愛者の婚姻合法化には強く反対している。

EU関連では、一時は「懐疑派」と言われるように、EUの組織や政策に対して懐疑的なスタンスを保っている。

特徴

前述したように、カチンスキ兄弟の政党というイメージが非常に強い。他にも知名度の高い政治家を数名有するが、政界における影響力を持った人物は少ない。

政党全体としては、党員の人選をある程度行っていることで門戸が狭いことから巨大組織ではない。しかしその反面、カチンスキ兄弟という明確なリーダーが存在することもあり、統一感・安定感は抜群だ。このため、党内における派閥闘争や内紛は皆無といってよい。

 

主要政治家

レフ・カチンスキ(Lech Kaczyński)

 1949年生まれ。法学博士(労働法)。2002年からワルシャワ市長。PiS名誉党首。「連帯」運動リーダーの一人。ワレサ元大統領の側近でもあった。円卓会議参加。最高監査局(NIK)局長、法務大臣経験。

http://lechkaczynski.pl/

 

ヤロスワフ・カチンスキ(Jarosław Kaczyński)

 1949年生まれ。PiS党首。法学博士。1989年〜1990年、週刊「連帯」編集長。

 

カジミエシュ・マルチンキエヴィチ(Kazimierz Marcinkiewicz

1959年生まれ。元数学・物理学教師。1992年から1993年教育副大臣。1999年〜2000年首相官邸政策室長。

http://www.marcinkiewicz.org/

 

ズビグニェフ・ジョブロ(Zbigniew Ziobro

1970年生まれ。検察官。法務副大臣経験。リヴィンスキャンダル下院捜査委員会委員として脚光を浴びる。

 

ルドゥヴィク・ドルン(Ludwik Dorn

1954年生まれ。「連帯」活動員。PiS議員クラブ会長。http://www.ludwikdorn.pl/

 

ミハウ・カミンスキ(Michał Kamiński

1972年生まれ。欧州議会議員

http://www.michalkaminski.pl/

 

カジミエシュ・ウヤズドフスキ(Kazimierz Ujazdowski

1964年生まれ。法学博士。PiS副党首。下院副議長経験。2000年〜2001年文化大臣。

http://www.ujazdowski.pl/

市民プラットフォーム(PO)

正式党名: ポーランド共和国市民プラットフォーム 

                 (Platforma Obywatelska Rzeczpospolitej Polski)

略称:PO(一般的に「ペーオー」と読む)

党首:ドナルド・トゥスク(Donald Tusk

党員数:約6万から7万人

発足:2001

党ホームページ:http://www.platforma.org/ 

                 (青年部: http://www.smd.org.pl/

 

歴史

ポスト連帯系の流れを汲む右派政党。2000年大統領選挙へ無所属で立候補し、当時右派与党陣営が擁立したクシャクレフスキを抑え、クファシニエフスキ大統領に次ぐ2位の座を確保したオレホフスキ中心として発足。これに、当時UWの若手の要トゥスクと、AWSのプワジンスキが共同発起人として加わった。右派勢力の寄せ集めであった当時AWS内閣が内政改革に失敗し国民の支持を急激に失うなか、右派の新たな受け皿として大きな期待を集めた。

2001年総選挙では、下院において全460議席中65席と、SLD-UPに次いで2位と、まずまずの成果をあげた。

しかしその後、オレホフスキの単独行動(2002年の地方選挙でワルシャワ市長に立候補したが、POとは別の個人後援組織を活動基盤とした)や、党内部の覇権争い(元ワルシャワ市長・ピスコルスキ、コモロフスキ前国防相、ロキタ前SKL党首などの大物議員を抱える)が原因で、求心力を失う。さらに、2003年6月のEU国民投票直前に、右寄りのプワジンスキ党首が辞任・離党しリーダーを欠く。最終的にリベラルのトゥスクが新党首、ロキータが議員クラブ会長に就任し新体制を確立した。

2005年総選挙ではさらに議席数を伸ばし、133議席を獲得した。

 

政策

経済発展を政策の中心に置く政党で、金融・経済・ビジネス界の強い支持を受ける。具体的には、「15×3」のフラットタクス導入(個人所得税、法人税、付加価値税を一律15%へ引き下げる)、国営企業民営化推進、雇用者の社会保障負担軽減などを政策とする。

また、「小さい政府」を主張し、中央官庁の人員リストラや関連機関の統合・廃止を目指す。

EU問題に関しては、「親EU派」に属す。加盟交渉当時から、EU加盟の必要性を主張し続けてきた。しかし、ニース条約に規定されているEU理事会における議決方法がEU憲法において変更された(ポーランドにとってはやや不利となる)ことから、同議論においてはやや神経質になっている。

 

特徴

華のある有力政治家を多く有するが、その反面、党内の求心力が一点に定まらない傾向がある。これまでに、オレホフスキ、プワジンスキといった発起当時のリーダーをはじめ、経済学教授で一時はトゥスク、ロキタとともに御三家ともいわれたギロフスカも離党した。現在同党トップであるトゥスクとロキタは絶対的なカリスマは持たず、「旬が過ぎれば」党内でトップ争いが再発することは必至だ。また、党としての結束力もさほど強くなく、支持率が落ちれば、離党議員がでることもあると思われる。こういった意味では、PiSほどの安定感はない。

経済分野におけるリベラリズムがまだ根付いていないポーランドでは、支持層もおのずと限られてくる。このため単独での勢力拡大は困難であるといえよう。 

 

主要政治家

ドナルド・トゥスク(Donald Tusk

1957年生まれ。社会主義時代は反政府学生組織のリーダーとして活躍。KLD発起人でもあり党首。その後、自由同盟(UW)の副党首。20011月に市民プラットフォーム(PO)を創設。下院副議長。

http://www.tusk.pl/

 

ヤン・ロキタ (Jan Rokita)

1959年生まれ。PO議員クラブ会長。反政府組織活動家。市民議員クラブ(OKP)副会長

http://www.janrokita.pl/

 

ブロニスワフ・コモロフスキ Bronisław Komorowski

1952年生まれ。2000年〜2001年国防大臣

http://www.bronislawkomorowski.pl/

ハヌナ・グロンキエヴィチ−ヴァルツHanna Gronkiewicz-Waltz

1952年生まれ。POワルシャワ支部局長。法学教授1992年〜2000年ポーランド国銀総裁。2001年〜2004年欧州復興開発銀行副総裁。2005年よりPOで活動。

http://www.gronkiewicz.pl/


パヴェウ・ピスコルスキPaweł Piskorski

1968年生まれ。1999年〜2002年ワルシャワ市長。2004年より欧州議会議員。

http://www.piskorski.pl/

 

ヤツェク・サリウシュ−ヴォルスキJacek Saryusz-Wolski

1948年生まれ。経済学博士。1991年〜1996年政府のEU問題責任者を担当。2000年〜2001年欧州統合委員会委員長。2004年から欧州議会議員。


民主左翼同盟 (SLD)

党名:民主左翼同盟 Sojusz Lewicy Demokratycznej)  

略称:SLD

発足:1999

党首:Wojciech Olejniczak (ヴォイチェフ・オレイニチャク)

党員数:約6万から7万人

党ホームページ: http://www.sld.org.pl/ http://www.sld.org.pl/index.php?pid=224

議員クラブホームページhttp://sld.kluby.sejm.pl/startns1.html

歴史

SLDは旧社会主義勢力の流れを汲む政党やグループから成る左翼の統一選挙委員会として1991年に発足した。その後1999年に正式政党として登録されている。

前身は、社会主義政権下で独裁政党であった統一労働者党(PZPR)→1990年に発足したポーランド共和国社会民主主義(SdRP)。

最近では、労働同盟と選挙連立を組んで挑んだ2001年の議会選挙で圧勝し、下院議席の41%を獲得。選挙後にはポーランド農民党(PSL)と共にミレル首相のもと連立政権を樹立した。

しかし、2003年頃からSLD関係者の不祥事やスキャンダルが頻発したことから支持率を急激に落とす。この傾向に歯止めをかけようと試みた同時党執行部は、不良分子を追放するという大義名分を掲げ、党内浄化作戦を実施した。これにより、十数万人いた党員は7万人近くも減少している。しかしこの実態は、不祥事などの問題により除名扱いとなった党員は少なく、SLDに見切りをつけた多くの党員が自らの意思で離党したという惨めなものであった。さらに、この後に居残った党員のスキャンダルは後を絶たなかったことから、同党の支持率は危機的水準にまで低下した。当然ミレル内閣の支持率も史上最低値まで落ち込み、ミレル首相は退陣に追い込まれている。

党首でもあったミレルが退陣した後、党首には長老株で前首相でもあるオレクシが就任したが全く振るわなかった。後任には若手ホープ、若干30代であるオレイニチャク農業大臣が就任。大胆な党改革を行い、SLD支持率回復に大きく貢献している。この結果、20059月末に行われた議会選挙では大きく後退したものの、下院議席獲得数は55で、中央政界生き残りを確定付けた。

 ミレル政権時代に、政策がリベラル化し過ぎたことで、党内から左翼政党の理念を失ったという激しい批判を受けた。SLDはオレイニチャク新体制下で、左翼理念の実現を誓う。

 

主要政治家

Wojciech Olejniczak(ヴォイチェフ・オレイニチャク)

1974年生まれ。20055月からSLD党首。農業大臣も経験。

 

Leszek Miller (レシェク・ミレル)

1946年生まれ。青年時代に統一労働者党(PZPR)の青年組織・ZMSで企業組合長として頭角を現す。1969年にPZPRに入党してからも出世を続け、県委員会第一書記長や中央委員会第一書記長などの要職を歴任する。

円卓会議参加者。SdRPの共同発起人で1997年には同党党首に就任。1999年にはSLD代表に就任。その後SLDは正式政党となるが、2004年まで引き続き党首の座を保持し続けた。

この間、閣僚ポストを歴任する。1993年〜1996年には労働・社会政策大臣、1996年には内閣官房長官、1997年には内務大臣、そして2001年〜2004年には首相を務めた。

20042月にSLD党首を辞任、同年5月には首相ポストからも自らに意思で退いている。2005年議会選挙には上院に立候補したが落選している。

 

Józef Oleksy (ユゼフ・オレクシ)

1946年生まれ。1968年から1990年までPZPR党員。要職を歴任。円卓会議参加者。

1995年〜1996年首相、1993年〜1995年、20041月〜3月副首相兼内務大臣。20044月〜20055月まで下院議長。200412月から20055月までSLD党首。

潔白裁判が続いている。

http://www.oleksy.pl/index/

 

Krzysztof Janik (クシシュトフ・ヤニク)

1950年生まれ。1968年〜1990年までPZPRSdRP共同発起人。SLD内では、書記長や副党首、党首(20041月〜200412月まで)を歴任。

2001年〜2004年まで内務大臣。

 

Jerzy Szmajdziński (イェジ・シュマイジンスキ)

1952年生まれ。1973年〜1990年までPZPR。要職を歴任。

2001年から国防大臣。

 

Włodzimierz Cimoszewicz (ヴウォジミエシュ・チモシェヴィチ)

 1950年生まれ。1971年〜1990年までPZPR1993年〜1995年副首相兼法務大臣。

1995年〜1996年下院議長。1996年〜1997年首相。2001年〜2005年まで外相。2005年下院議長。

2005年大統領選挙に立候補するが途中で取り下げ。同時に、公職から一切身を引くことを宣言。




自衛(Samoobrona)

正式名称:Samoobrona Rzeczpospolitej Polskiej

発足:1992

党首:アンジェイ・レッペル

ホームページ:http://www.samoobrona.org.pl/pages/00.Start/


歴史 

1992年にアンジェイ・レッペルが中心となり発足した農業労働組合「自衛」が前身。その後、「自衛」同盟として政党化。2000年より「ポーランド共和国自衛」に変名している。

2001年議会選挙までは農民過激政党として活動。政府の農業政策に強い不満を持つ農民を結集し、道路封鎖デモや役所・中央官庁占拠デモ、さらには鉄道で輸入された穀物を不法に貨物車からばら撒くなどのデモを展開し、知名度を徐々にあげた。

2001年議会選挙で議席を獲得し、いよいよ中央政界に登場。その後徐々に党イメージを「農民の利益を守る農民過激政党」から「小売業者、失業者、社会的弱者の生活を守る社会主義的政党」へと転換しつつある。

政策

政策の中心にあるのは、同国憲法が謳う「最低限の生活」を全市民に保障すること。実現のために、貧困家族が最低限度の生活を営めるよう、社会保障制度を拡充すべきであるとする。

また、ポーランド中銀・バルツェロヴィチに象徴されるリベラリズム路線を真っ向から批判。同氏の解任を求めるとともに、金融政策の抜本的な変更が必要と主張する(中銀が保有する予備金を放出し経済活性化を図る・公的財務を対GDP100%程度まで拡大するなど)。

当初はEU加盟反対陣営の急先鋒であった。しかし、EUの東方拡大が既成事実となった現在では、やや反対のトーンを和らげている。だが、EU加盟条約はポーランドにとり不利であるとして、この再交渉を要求し続けている。

 

特徴

アンジェイ・レッペル代表の独裁的党運営が特徴(その独裁振りにより、一時ヒトラーに喩えられた)。体制転換以来ポーランドを食い物にしているとして、政界の全エリート層(SLDを中心とした旧体制系の流れを汲む左派諸政党、ポスト連帯系の右派諸政党とPSL)を厳しく批判。生活に不満を募らせる一般市民のフラストレーションを巧みに煽動・利用することからポピュリスト政党とも呼ばれる。

しかし最近、レッペル代表の独裁に痺れを切らせた同党下院議員の離党が後を絶たない。地方議会でも支持を集めている。

 

主要政治家

Andrzej Lepper (アンジェイ・レッペル):党代表。独裁者的存在で同党唯一の求心力で、正に「自衛」=レッペル。代表の意見に逆らうものは即刻除名扱いするなど、非民主的統率方法が党員の不満につながり、最近では議員の流出が相次いでいる。これに多少懲りたのか、最近ではメディアを用いたお得意のパフォーマンスも控えている。

ポーランドの家族連盟(LPR)

正式名称: Liga Polskich Rodzin

略称 : LPR

発足 2001

党会議議長 ロマン・ギェルティフ(Roman Giertych)

党首 マレク・コトリノフスキ(Marek Kotolinowski

ホームページ:http://www.lpr.pl/

歴史

右翼政党。2001年議会選挙の4ヶ月前に発足したものの、急激に市民の支持を集め中央政界進出を果たした新興勢力。カトリック・愛国系小政党が結集してまとまった形で、発足当初には一部「連帯」系勢力も混じっていた。

2002年地方議会選挙あたりから、党内ではギェルティフ批判が噴出。分列が始まり、幾つかの派閥が異なる選挙委員会を設立した。2003年には同傾向が本格化し、旧「連体」系人物がLPRを離脱している。

政策

SAMOOBRONA同様、既存エリート勢力を徹底批判(ただ、PiSとは比較的相性が良い)。筋金入りの反EU勢力。国営企業民営化議論では、外資参入を徹底して拒否する。EU加盟に絡んだ農地問題でも、「大地」=「祖国」という哲学から、外国人に対する土地売却には断固反対という立場を示した。また、金融政策評議会(RPP)の廃止を唱える。根強い支持層を持つ一方で、思想が偏りすぎていることが仇になり、これ以上の大躍進は困難か。

特徴

党組織の権力は階層構造になっている。最大の発言権を持つ組織は議会であり、この長であるロマン・ギェルティフが事実上トップといえる。権力構造の中ではナンバー2である党首はコトリノフスキ。ナンバー3の政策協議会会長はヴジョダクであったが、ギェルティフ批判を行ったことで、2005年の議会選挙後には解任されている。ヤヌシュ・ドブロシュが選出された。


主要政治家

 Roman Giertych (ロマン・ギェルティフ)

1971年生まれ。政治一家の出身。数年間はStronnictwa Narodowo-Demokratycznego i Stronnictwa Narodowegoに所属。

LPR副党首。職業は弁護士。熱心なカトリック信者。その勤勉さには他党議員も一目を置く。反EU陣営の筆頭でもある。今後は加盟反対から、EU内における国益保護に攻撃目標を移す。言動があまりにも愛国主義的あるいはイデオロギー的で滑稽に映ることも珍しくない。長身のインテリ。同じ新興勢力でも、ずんぐりむっくりで「土臭さ」が強いレッペル代表とは好対照。

Marek Kotolinowski (マレク・コトリノフスキ)

党首

 

Zygmunt Wrzodak (ジグムント・ヴジョダク)

200510月に政治部長解任

ポーランド農民党(PSL)

正式名称: Polskie Stronnictwo Ludowe

発足 1990

党首:ヴァルデマル・パヴラク

ホームページ:http://www.psl.pl/


歴史

党員14万人を誇るポーランド最大の政党。農民系。前身は、社会主義時代にはポーランド統一労働者党(PZPR)の衛星政党であった統一農民党(ZSL)。1993年〜1997年、2001年〜2003年まで連立与党の一角を成す。

2003年3月に、SLD−UPとの与党連立解消以来、徐々に政界における存在感を弱める。EU加盟議論では農地売却や補助金問題で農民の利益を保護する役割を果たした。

 

政策

「大きな政府」を主張する。特に、農業分野における政府の保護を強く訴えることで、農村に非常に強い支持層を持つ。また、国営企業民営化問題においても、国の関与を継続すべきというスタンス。

最近では、支持層を農村から小・中都市市民や自営業者にも拡大する方針を打ち出している。地方、特に圏内東部地域では影響力を持ち、村/町・市議会では強さを見せている。


主要政治家

Waldemar Pawlak (ヴァルデマル・パヴラク)

1959年生まれ。 1993年〜1995年首相。20051月から再び党首に。


Jarosław Kalinowski (ヤロスワフ・カリノフスキ)

1962年生まれ。1997年農業大臣。1997年〜2004PSL党首。2001年〜2003年副大臣兼農業大臣。2005年大統領選挙に立候補。
http://www.kalinowski.pl/

Janusz Wojciechowski (ヤヌシュ・ヴォイチェホフスキ)

1954年生まれ。1995年〜2001年最高監査局(NIK)局長。2004年より欧州議会議員。2001年〜2004年下院副議長。2004年から2005PSL党首。NIK局長時代には、公正な活動振りが高く評価された。

Józef Zych (ユゼフ・ジフ)

1938年生まれ。1995年〜1997年下院議長。2004年〜2005年下院副議長。

ポーランド社会民主主義(SdPl )

正式名称:Socjaldemokracja Polska

発足:20043

党首:Marek Borowski

 

ホームページ:http://www.sdpl.org.pl/

 

 

歴史

マレク・ボロフスキを中心とするSLDからの離脱者が結成。議員の汚職やスキャンダルが相次いだにもかかわらず党内浄化が全く行われないことや、政策が左翼的イデオロギーから遠ざかったことに反対し、SLDから分裂した。

 

 

政策

社会的平等、保護的国家、男女平等、汚職撲滅などを訴える。親EU派。

 

 

主要政治家

Marek Borowski (マレク・ボロフスキ)

1946年生まれ。PZPR時代には高官職も経験。1993年〜1994年財務大臣、1995年〜1996年内閣官房長官。2001年〜2004年下院議長。2005年大統領選挙に立候補。

http://www.borowski.pl/index/

 

Marek Balicki  (マレク・バリツキ)

1953年生まれ。精神科医。元「連帯」活動員。1992年〜1993年健康副大臣。1998年〜2001年クファシニエフスキ大統領の顧問。20031月〜4月健康大臣。20047月〜200510月健康大臣

 

http://www.balicki.pl//index/

 

 

Andrzej Celińskiアンジェイ・ツェリンスキ)

1950年生まれ。元「連帯」組合員。円卓会議参加者。2001年〜2002年文化大臣。

http://www.andrzejcelinski.pl//

 

 

Dariusz Rosami (ダリウシュ・ロサティ)

1946年生まれ。外相経験。2004年より欧州議会議員。

 



民主党(PD)

正式党名:Partia Demokratyczna - demokraci.pl

発足:20052

党首:Władysław Frasyniuk

党員数:13000

ホームページ:http://www.demokraci.pl/

歴史

自由同盟(UW)に、民主左翼同盟 SLD のハウスネル副首相兼経済大臣とベルカ首相が加わり、民主党へと発展した。両者はまだ現役閣僚中に、議会外政党であるUWとの合流を表明したため、大きな注目を浴びた。

政策

中道政党で、経済的リベラリズムを主張する。親EU派でもある。また現行憲法の維持を支持。


主要政治家

Władysław Frasyniuk
  1954年生まれ。「連帯」活動員。円卓会議参加者。2001年より自由同盟(UW)党首。2005年からPD党首。


Tadeusz Mazowiecki 
  1927年生まれ。社会主義体制下、週刊誌「連帯」編集長。円卓会議参加者。社会主義体制崩壊後、初の首相。

 
 Bronisław Geremek,
  1932年生まれ。史学教授。元「連帯」顧問。円卓会議参加者。1997年〜2000年外相。2004年より欧州議会議。

 Janusz Onyszkiewicz
  1937年生まれ。数学者。「連帯」運動に深く関与。円卓会議参加者。1992年〜1993年、1997年〜2000年国防
 大臣。
2004年より欧州議会議員。欧州議会副議長。
  http://www.januszonyszkiewicz.pl/

 Jan Kułakowski
 1930年生まれ。法学博士。EU加盟交渉ではポーランド交渉団の初代団長。

 Jerzy Hausner
 1949年生まれ。経済学教授。2001年〜2005年ミレル内閣・ベルカ内閣で重要な役割を果たす(労働・社会政策 大臣→経済・労働・社会政策大臣→副首相兼経済・労働・社会政策大臣)。同期間に、国家が異性健全化計画 (いわゆるハウスネルプラン)を作成する。20051月にSLDを離党。その後PDへ。
  http://www.jerzyhausner.pl/

 Marka Belki
 1952生まれ。経済学教授。2004年〜2005年首相。1990年より歴代SLD内閣においてアドバイザー的な役割を多くこなす。国際機関における役職経験も豊富。

自由同盟(UW)